6. エネルギーとはいうものの:私がみている世界 (1)
今までこのブログの中で、何度も「エネルギー」という言葉が出てきました。
でも、読んでいてもはっきり言って分からないし、イメージも湧いてこないですよね。
なので、今回は、なるべく私がみている世界を、文字として書き起こしたいと思います。
あくまでも、私の世界です。
そもそもエネルギーをどう私が捉えているか、ですが、、、
まだまだわかっていない、未知の世界です。
沢山の情報を、私のガイドが教えてくれます。
でもそれを腑に落とすほどの理解力がなく、ついでにイメージ力もなく、、、。
はい、宝の持ち腐れをしています。
いつかわかるからその情報が私のところへ来たのだ、なんて自分を慰めながら、そのままにしている状況です。
そのうち時間の経過とともに忘れてしまうものもあるんですけど。
それは事実なのですが、それだと理解に全く結びつかないので、いくつかご紹介していきたいと思います。
私の中で、エネルギーは、あえて表現するならば、小さな球体をしています。
イメージとしては、原子とか分子とか、そんな感じです。
化学が(も)苦手なので、突っ込まないでいただきたいのですが、イメージです、あくまでもイメージ。
でも実体はない感じで、煙みたいな?掴めないものなのです。
色は、最初はオレンジ色していましたが、単に私がオレンジ色が好きだからそうなっていただけで、今は緑色だったりピンク色だったり、無色透明だったりと、色々しています。
見る人の好みを反映したりその時の状況を反映するようです。
それが、宇宙の果てまで、みっちり隙間なく埋まっている、
球体が個々に存在している、というより、よく見ると球体だけれど繋がっている、
みたいな。
なので、どこかで反応すればそれが宇宙の果てのところにある球体まで、瞬時に伝わる、
反応しなくてもただそこにあるだけで、全方向に繋がっているので、瞬時に伝わっている、
みたいな。
そんな世界なので、360度観察できるし、中身までわかってしまう。
日常生活で例えると、
宅配便で届いた段ボール箱が床に置いてあるとすると、箱の底は持ち上げないと見えない、
中身も箱を開けないと見えない、取り出さないと見えない、
ですよね。
でも、エネルギーは隙間なくみっちりなので、中身を見なくても持ち上げなくても、
そこに箱があり、床に置いてあり、中身はこれ、というのが、エネルギーを読むだけでわかる、
そういう感じなのです。
また、透視は見るだけですが、
エネルギーの世界では、そのものに直接触れなくても、それを感じることができる、
実際に匂っていなくてもそれを感じることでわかる、
音として聞こえなくても、音がわかる、、、。
でも、それを感じない選択もできます。
例えば、痛みを感じたりわかりたいと思う人は、全員ではないと思います。
体験したいと思う方もいらっしゃるとは思いますが、少なくとも私は嫌です。
なので、私は痛覚をわかるようにはしていません。
体験することも出来ますが、痛みは閾値を超えると意識を失ったり死亡することもあるので、危険が伴うと思います。
私は体験したくないのでトライしたことがありません。
なので、この件もこれ以上は突っ込まないでくださいね。
エネルギーの世界では、
前後左右も自由自在、
上からも下からも見られる、
ドローンのように空中の高いところから見下ろすこともできる、
対象物の中に入ることもできる、
つまり、
視点をどこに持っていくか=どこから眺めるか、どう動くか、
すべて自由に、自分の思うままに見られる、感じられる、
見るだけでなく、匂いや食感、ありとあらゆるものがわかる、
それがエネルギーです。
つまり、エネルギーの前では、読めないものはないのです。
それを知った時、まず最初に思ったのが、
もしかして、私がしている妄想もダダ漏れ? 超恥ずかしいんですけど!
でした。
恥ずかしいので何の妄想をしているかは突っ込まないでくださいね。
でも、私だけではないはず!(^ ^)
これは、清く正しく美しく生きねば、、、それができる様になるまで、誰も私の妄想を読まないでね!と思いました。
勿論、3日どころか10分と持ちませんでしたが。。。
でも、もし本当にそんな風に情報がダダ漏れていたら、世の中こんなになっていないし、
それこそ、テストの答えだって読んでしまえば、満点以外ありえないのでは?
と思ったのです。
それからは、読めない場所を探してみました。
↑こういうところが、「リケジョ思考(理系女子の思考)」と、よく言われます。
観察の結果、現時点でたどり着いている答えは
・読まれたくないと思っていることは読めない
です。
これ、簡単そうに見えますが、かなり深かったのです。
例えば、
過去世を見た時、自分が殺された場面が出てきたことがあるのですが、その人たちの目が、超絶凄かったらしく、私はその目を見ていません。
相当怖かったのでしょうね。だから今でも見られません。
あ、これのお陰?だと思うのですが、
この時の目があまりに怖かったので、目つきが悪いと周りが言う人でも全然怖くないのです。
こういうレベルで見たくない、ということもありますが、
もっとスケールが大きい話だと、
例えば、
私たちが生きているその目的、今生の目的ですね、それを読みたくないと設定している人は読めません。
これは、
努力すれば、精進すれば見える様になる、というレベルの話ではありません。
『今生でやりたいこと、経験したいことを、生まれる前に設定してから生まれてきている』
こんな話を聞いたことがある方もいらっしゃると思います。
設定してきた内容を覚えている人、自力でなくても他の人に教えてもらえる人、もいますし、
私のように自分では覚えていない上に、人に聞いても教えてもらえない人もいます。
私の場合、今のところ、設定内容は全部ではないものの、基本的には読めないようになっています。
他にも、今抱えている問題、意識か無意識かは関係なく、を引き起こしている課題に触れたくない、内容を知りたくない、と思っている時も、そこは読めません。
それは人間でも動物でも同じです。
その生前設定ですが、内容ごとに条件設定をしている人もいます。
生まれてからこの時期まではこう設定する、けれど、ここからは変えて、これもできるようにする、という感じです。
私もあります。
人生をこう過ごしたい、と設定してきた「生前設定」、
つまりブループリントは条件をつけられる、
ので、今こうだから生涯これが続く、というわけでは必ずしもありません。
「生前設定」以外にも「生前契約」、「合意」(これらは私が使っている言葉です)があります。
生前設定は自分のことなのですが、
それに協力するために周りの人たちと約束してきた生前契約、
そして生まれてからの協力する合意、
があり、
それが「ご縁」として、また、「袖振り合うも多生他生の縁」として、
人だけでなく、事象として体験したり、と
私たちの目に見える現象として現れ、
人生に更なる彩りを添えています。
しまった!
これ以上この手の話を書いていると、私がどういう風に見ているのかを書くところまでたどり着かないことに、今、気づきました。
なので、これもいつか、徐々にお伝えしていこうと思います。
事例紹介は次回へ!